吉川さおり 参議院議員(全国比例)

活動記録

国会での発言と会議録 2016年04月10日

2016年4月10日

国会での議論は、私たちがいなくなっても参照され続ける
大事な記録であると強く認識しています。事実、会議録の
重要性については、これまでの質疑の中でも取り上げています。

私は初当選時の国会質疑の時から、委員会翌日、
いずれかの段階で参議院イントラネット内にアップされる
未定稿会議録をチェックするのが習慣となっています。

国会内にいられない時は、該当部分をPDFで送信してもらい、
出先でもすぐチェックするほどです。そして、その後、記録部に
自分自身で足を運ぶ、というのが自身の会議録にかかる、
初当選以来の一貫した行動パターンです。

では、なぜ、記録部に足を運ぶのか。

それは、たとえば、質疑の際に、過去の国会での大臣答弁等を
引用したとします。その際、すべて完全に引用すれば、その引用
部分は「 」で括られることになりますが、たとえ、一字だけでも
言い間違いをしていれば、それは「 」には入りません。

これらの確認等、こまごました内容を記録部担当者と
見ていくためですが、私はこの時間が好きですし、また、
そのたびに、会議録に関するルール等を学ぶことも多いからです。

余談となりますが、未定稿の会議録は、委員会翌日、いずれかの
段階で、遅くとも夕刻までには必ずアップされることとなっています。
その際に、質疑者が完全に公的文書等を引用した箇所については、
未定稿段階から「 」できちんと括られています。

これは、質疑者が何年何月の会議録、とか、この文書は財務省の
この文書の何ページ、とか発言していなくとも、記録部の担当者が
元資料を探し、引用の有無を確認する作業を短時間で行っているからです。

最近、会議録にかかる論文等を読むことが多かったこともあり、
会議録に纏わる様々な経緯やルールに触れるたび、国会での
発言は重い、と改めて痛感しています。

委員会で発言したことは、簡単に取り消したり変更できたりする
ようなものではありませんし、音として確認できないものは記録
として残せないのは、当然のことです。

最近、手続きを含め、それが余りにないがしろにされてはいないでしょうか。

ただの言い間違いだけなら、ある意味よくあることであり、
殊更に取り上げるものでも、あげつらうものでもありません。

また、議長や委員長等の言い間違いは、正確を期すために
事務的に直すべき性格である発言であることも、常任委員長の
任にあったこともあり、承知しています。

しかし、読むべきものの順番を大幅に間違えたり、間違ったことを
委員会でたくさん発言したりしてしまった場合は、性格が異なります。

訂正するのであれば、取るべき手順を踏むのは当然のことではないでしょうか。

本館で委員長の了解を事前に得るとされながら、相当分量の言い
間違いについて、結果、委員長すら全く何も知らない、つまり手続きに
瑕疵のあるまま、発言した音がごっそり削除された未定稿会議録が
アップされてしまう、などという事態は、本来あってはならないはずです。

ただの言い間違いであれば、指摘などしません。

さらに、それが事後であっても、与野党の片方にのみ
知らされもしなかったことは、知らされなかった片方が
もし気づいていなければ、そのままだったことを意味します。

至極残念であることに他なりませんし、何より哀しいことです。

法規や先例、手続きを大事にするのが良識の府、
参議院であると信じていますし、そうあって欲しいと願っています。

活動記録